SDGsユースサミット2019レポート
5:VOICE of TOMOMI SAITO
VOICE of TOMOMI SAITO
「自然をうまく活用する社会をつくらないとダメだ」
−斎藤智美−
■私の動機
秋田の国際教養大学を卒業して、この春から東京の大学院で土地利用について農学部で研究することになっています。私は里山で育ってきた人間で、秋田でも自然を身近なものとして大学生活を送ってきました。そんな大学生活のなかで、ハリケーンで被災した地域の視察に行ったのですが、その光景が、私のなかで東日本大震災の状況と重なったんですね。そこで、人間がつくったインフラに依存しきった生活には限界がある、どこかで自然をうまく活用した社会をつくっていかないとダメだと思っていた頃に、鹿児島の出水市というところに行きました。出水市は、1万羽以上の鶴が飛来する、日本一の鶴の越冬地なのですが、人と鶴、里と山の共生が守られている土地です。今回、私が参加させていただいたカンボジアのプロジェクトも、同じように鶴の大きな生息地なので、カンボジアの人々はどのようにして鶴と共生しているのかを学びたかったのが直接の動機でした。
カンボジアで私が携わった仕事の一つに、農業有害廃棄物の管理があります。その村では、農薬を使った後のゴミの廃棄システムがなく、現在、そうした設備の導入が検討されているのですが、その初期段階として現地の農薬散布者の人たちへの調査アンケートにより、地域のどこにゴミが捨てられているかを把握する分布図を作成し、また、飛来する鶴たちの生息地として重要な場所はどこかということを重ね合わせるといった緻密なリサーチを行っています。
■私の提言
「気候変動に対する責任の取り方を曖昧にしない」
カンボジアというとシェムリアップやアンコールワットの印象が強いと思いますが、それ以外にもあらゆる場所が美しい国なんですね。私は3ヶ月間、首都のプノンペンのオフィスで勤務していたのですが、インターンが始まって2日目にプロジェクトサイトのひとつに出ることができました。首都のプノンペンから車で3時間ほど走った、ベトナムとの国境沿いに広がる湿地帯です。鶴の生息地であり、カンボジアでもとても美しい自然が残されている場所で、そこで現地の農業関係者と導入する廃棄処理施設についてのミーティングを行ったりしたのですが、支援する現地の人たちと直接やりとりをすることがとても新鮮でした。特にこのプロジェクトは、経団連自然保護基金から拠出しているお金を運用しているものでしたので、より責任を感じながら仕事をさせていただいたように思います。
■地球温暖化という言葉の持つ力
責任ということで言えば、別の話になりますが、最近、友人と話しをしていて気づいたことがあります。私たちが小学生の頃、地球温暖化という言葉が環境問題として急速にクローズアップされたことがありました。でも最近、その言葉を使わなくなり、いつの間にか、気候変動という言葉に置き換わっているように思います。温暖化という言葉には、人間が係わっている問題というニュアンスがあって、何とかしないといけないという意識が強く働いて、例えばレジ袋の削減とか身近なアクションにつながっていったと記憶しています。ですが、気候変動と言われると人為的な問題というより地球の変化というような言葉の印象になってしまって、人間としての責任の取り方が曖昧になってしまうような気がしています。
実際、カンボジアでも気候変動の影響は身近な問題でした。インターンとして勤めていた小学校へはボートで通っていたのですが、その船着き場の土手が洪水で崩れてしまって、そのままになっていたりするんですね。気候変動がもたらす災害が、日常の生活に大きな影響を与えてしまっている事例は、たくさんあります。地球の至るところで課題になっている世界共通の環境問題が気候変動なので、すべての人に係わってきます。それに対して何ができるのかということは、みんなが考えていかないといけないし、私自身もこれからも取り組んでいきたいと思っています。